父のコロナワクチン大規模接種に行ってきた2021年06月03日 10:28

 前回書いたように、わが父は95歳になるが、まず元気で困ってしまう。
 それでもワクチンは打ちたいというから1日の13:00に予約して、パークホテルに行ってきた。
 往復は車いすでもあるのでタクシー。

 12:15くらいに西区を出て12:40くらいに到着。ホテルの前も特に混雑はなかった。
 まず、何時の予約か聞かれる。13:00だからすぐに通されたが、年寄りだらけだから1時間以上前に来ているのも当然いるだろう。
 エレベーターで3Fに行けとの指示。あれ接種会場はB2と聞いていたかがと思ったが、行ってみると予約の確認と待機場所は3階だった。
 しばらく待っていると、椅子列の1列の20人ほどずつ立ち上がり、エレベーターでB2に行けと。3番目に呼ばれたから前には40人ほどがいた。
 B2に行ったらまた行列。左右の受付(合計4人分あり)に順番に行って、バインダーに接種券と予診票を挟んで渡される。
 次にまた行列。
 医者のいる問診室が空いたら緑のランプが部屋のカーテンの前につくからそこに誘導され問診開始。
 ペースメーカーありと正直に書いたもんだから、血をサラサラにする薬を飲んでいないかとしつこく聞く。薬手帳を持って行かなかったので、わからない。薬手帳をもってこいとは書いていないし。次の時には何も書かないつもり。
 それでも注射後に強圧迫することで納得したのか、OKが出た。あとで考えたけど、いつも特に血が止まらないで困ったことはないと言えばよかったが、思いつかなかった。妙にイラついた医者だった。

 次にまた同じようなカーテンの中に引き込まれて、いよいよ注射だった。注射したのは看護師らしい。

 そのあとは、15分間の待機。15分後の時間を言われ、15分すんだら自分でバインダーを返しに行くように申し渡された。
 しかしその最後の受付前でも5分程度かかる列ができていたから、実際は10分も座っていたら事足りるくらいだ。
 最後の受付で今日の過ごし方などの注意を受けてハイさよなら。  
 13:40くらいにすべて終了した。家に戻って14:15で、ちょうど2時間だった。

 夜まで様子を見ようと思い、夕食にラーメンを作ってやって一緒に夕食を取り、特別に副反応の様子もないので、自宅に戻った。

 経験してみて、とにかく「蜜」だらけで正直怖かった。特にババアは前との距離を開けることを知らないのか、いつも通りにぴったりで並ぶやつが多く、自分の前はディスタンスを取っていてもすぐ後ろには背中に気配を感じるほど近い並び方になるので、困った。

 とにかく1回目は無事に終わったし、様子もわかったので、2回目(22日)は楽勝だろう。
 そろそろ自分にも接種券が来るらしいから、まだパークには3回行かねばならない。

 感想としては、とにかく蜜がこわかったということに尽きると思う。やはり各区に接種会場を確保すべきなことははっきりした。 
 医者が確保できないという言い訳は通用しない。たいていのクリニックは週40時間のくくりに合わせて、平日のどこかで半日休みを取っていると思うから、そこをうまくつないでボランティアを頼むとか、問診表にかかりつけの医者の意見を書かせて、当日の問診なしに看護師が摂取するなどの方法も取らなければ、いつまでたっても社会は回復しないだろう。

 とにかくやはり札幌市は無能の集団だと理解した。
 じゃんじゃん。

ワクチンの予約が取れた2021年06月18日 11:01

 札幌市は、ワクチンの接種券を送ってきて、「あとはそれぞれ自分たちで予約を取るように」という”丸投げ”方式だ。これじゃあ何のことやらわからない超高齢者がポロポロこぼれて医療への影響はあまり減らないことになるかもしれん。本当に役に立たない市役所・公務員だ。一言でいうと、いらない組織の代表だろう。
 もともと札幌市は伝統的に市長が職員からの成り上がりであったが、上田市政は全くその伝統とは真逆で、伊藤正義という正義漢が古い伝統では組織が腐ると考えて上田市政を作った。見事に3期12年にわたり「市民の市政」を作ったと思うが、後継選びでは組織内部の反乱を受けて今の秋元になって、伝統と格式重視の市政に戻ってしまった。そしてこのコロナ騒ぎでは、秋元市政は全く何もしない市政となっている。

 ところで、ワクチンの予約が取れた。PCではなくて電話にした。連れと一緒に取るにはPCだとそれができないかもしれないからだ。
 7月6日と28日。7月中に終了する。釧路の兄弟たちも何とか終わるめどが立ちそうだ。めでたしめでたし。

 最近の読書から。
 1冊目は服部正也著「ルワンダ中央銀行総裁日記」。
 いったい何のことやらと思うかもしれんが、結構面白かった。何がというと、アフリカ東部にあるルワンダ共和国がベルギーの植民地から独立したばかりのころに、IMFの要請により日銀から出向していった著者が、中央銀行の立て直しと経済発展計画を作成し実行するまでの6年間を描いたもので、1960年後半から70年にかけての話。つまりもう50年も前のアフリカだからすごいことになるのだが、一番印象に残ったのは、著者が当面の課題を前に進めるために当時の大統領や閣僚をはじめ、植民地時代からはびこっていた外国人商人などの説得に際し用いた「言質のとりかた」だ。
 つまり課題の内容とその解決に向けた方法の「表現」で、これは本当に参考になった。この人は本当に賢い人だと思った。

 2冊目は話題なのかもしれないが、斎藤幸平著「人新世の「資本論」」。これはまだ5分の一しか読んでいないが、まったく全面的に同意できる内容で、人類・人間の愚かさ、特に先進国といわれる国に住むものの罪悪について、地球環境問題が解決可能なのかどうかは、これからの本の5分の4におそらくあるだろうと思うが、寝る前にちょこっと読む本ではないことは確かだ。正座して読もうかと思っている。

 しかし、この2冊は先日近くのイオンの書店で買ってきたが、どうして手が伸びたかわからない。まさに神や仏の思し召しかもしれない。
 本当に神や仏はいる(ある)のだろうか、民主党政権と東北大震災、自民党政権末期と新型コロナ、これから何かしようかと思うような気力はないが、1400兆円の借金や連合を作ってしまったなどの後悔を抱えたまま、この世を去るしかないのだろうなぁ。

 気弱に、じゃんじゃん。