やはり深刻に考えてみるべきだべさ 労働運動って?2014年03月14日 10:15

 以下は東京安全衛生センターのTさんがあるブログに書かれたものです。
 残念ながら、私にはTさんに匹敵するような知識がないモンですから、勝手に引用させてもらいました。

「労働安全衛生問題は“労働者を人間として尊重しているのかどうか”」

 2月末、「労働安全衛生からみた労働運動の課題」 のテーマで報告する機会がありました。
 労働安全衛生については、多くの労働者にとって正直関心がありません。関心をもってもらおうとすることは難しいことです。
 労働組合では 「団結」 が叫ばれます。しかし労働安全衛生の視点からは職場環境の問題も捨象し、個人的問題には取り組まないという宣言としか聞こえません。
 かつて労働組合は社会的に大きな存在でした。吸引力がありました。
 戦後の労働組合は、多くの場合、戦中の産業報国会の焼き直しとして登場しました。ですから上位下達の指示系統と統制・規律の性格を色濃く持っています。それを 「団結」 と捉えて来ました。
 「労働組合がたえずいだいていた自負は、自分たちこそが社会正義を体現していて、自分たちは社会の進歩を推進していく勢力だ、ということであった。……今日では、労働組合の軸に置かれていた思想自体が動揺にさらされているのである。だから新しい基軸になる思想をつくりださないかぎり、労働組合が社会変革の大きな勢力として再生されることはないだろう。そして、労働組合と同じような矛盾のなかに、私たちの労働の世界も置かれている。なぜなら、どのような思想で自分たちの労働を考えたらよいかは、現在の私たち自身の課題でもあるのだから。」 (内山節 『戦争という仕事』)
 「従業員の間に存在した差異、あるいは格差と、それに由来する心情の差異へのまなざしを鈍らせる役割を果たしていたのが、あるいは以外に聞こえるかもしれないが、『労働者階級』 という概念の日本独特のあり方だったといえるであろう。」(市原博 「『労働』 の社会と労働者像の変容」 『戦後日本社会の歴史』 収録 岩波書店)
 実は 「労働者階級」 という宙に浮いた言葉が真の 「団結」 を壊しているのです。

 報告では長時間労働問題など最近の具体例をいくつかあげましたが、炭坑・炭労の歴史から問題を掘り下げてみました。

 三井鉱山では1953年、九州と北海道で 「英雄なき113日の闘い」 に勝利します。
 三池労組では戦後の民主化闘争の中で、組合員全員の名前を 「さん」 付で呼び合う運動を展開します。そのような中で下請労働者の本工化要求を勝ち取ります。「みんな 仲間だ 石炭掘る仲間……」 (「三池労働組合の歌」) を実感させます。
 三池労組は53年の 「英雄なき113日の闘い」 に勝利し、保安の問題などを追及するなかで、職場単位で労組との交渉権を認める、いわゆる 「現場協議制」 を勝ち取って行きます。このような三池労組を潰そうしてかけてきた攻撃に反撃したのが三池闘争です。

 「1953年に太平洋炭坑では完全請負給は廃止された。作業の基準量に追いまくられる請負給の廃止は、労働者の年来の要求であったが、他のヤマに先がけていちはやく実現したのは、資本の側にもカッペ採炭の本格化と切羽集約によって大幅な能率の上昇ができ、しかも将来の機械化を展望すれば、能率の上昇にともなってどんどん上がっていく請負給よりは定額給にしておさえたほうが得策だという太平洋資本の独自の蓄積の方向にもとづく事情があったためである。」(太平洋炭坑労働組合編集 『太平洋炭坑労働組合 三十年史』)
 50年頃からアメリカやドイツ製の機械が導入され始め、特にドイツ製で発達したカッペ採炭法は大手炭鉱で採用されました。これにより切り羽の出炭量は増えたが、請負給も増額になりました。経営者は人件費を抑制する手段として定額給を導入します。労働者は実質的賃下げになりましたった。しかし労働組合は見積もり単価を決定する際には職場代表を交えて決定せよという要求を掲げて交渉し、一旦は下がった単価を上げさせました。
 この闘いは職場闘争の端緒となりました。

 54年8月31日、ガス爆発事故が発生し、39人が犠牲となりました。
 この事故を契機に職場闘争は本格化します。それまでは職場保安自治会は会社への協力機関だったが、職場の大衆的な力で保安委員会や自治会の決定事項を実行させる闘いの場へと変えていきました。労働組合は、それまで有名無実だった各抗口、抗外の職場闘争委員会を再編成するとともに、抗口に労働部担当執行委員を常駐させて指導を強化させます。そして各抗口に集まる要求を組合でまとめ会社との交渉にあたっていきました。
 経営者にとっては、機械化をはかっても職場闘争の発展は生産性を向上させるには障害となります。そのため職制支配を強め、職場規律の確立を推し進めました。さらに石炭のコストを引き下げるため、坑外の付属施設を切り離して独立部門にするなどの提案を行ってきました。

 西で三池闘争が闘われている最中、北でも攻撃が続いていました。
 三池闘争の敗北後も、太平洋炭坑では合理化反対闘争が闘われていました。しかし62年4月から災害が相次ぎます。62年4月から11月までに7人が死亡し、1日あたり6件強の災害が発生しました。合理化に災害は付いてきます。まさしく人災です。
 63年1月27日、労働組合は重大災害に抗議して1時間ストを決行。ストに際し、執行委員会は幹事会に文書を提案します。
 「われわれの内部にも、炭鉱には災害がつきものという観念があります。本当に炭鉱から災害をなくすことはできないのだろうか。いやできます。それは科学的技術的に可能です。われわれはそのためにこそ保安第一を唱え、技術的対策を要求してきました。これまでの災害について“労働者を人間として尊重しているのかどうか”という観点から分析してみると、真の原因が本人の不注意とか不可抗力によるものはほとんどありません。われわれのなかに、災害はカンと経験だけで防げるという考えやまちがった度胸と誇りや責任をもったり、作業要綱や対策を正しく運営する積極的な姿勢を欠いているところに問題があります。今度の抗議ストは保安確保への会社にたいする抗議と、われわれ内部の意思統一を目指しておこすものです。」

 66年、死亡事故が続きますがこの年の死亡者4人はすべて社外員と呼ばれる下請労働者でした。低賃金を個人で克服するために長時間労働を行っていました。そして危険とわかっていても改善要求は出来ない従属関係のもとで沈黙を続けていました。事故は、直轄労働者との大きな差別のもとで、低賃金と無権利の状態が引き起こしたことは明らかでした。

  地の底から 地の底から 
  怒りが燃え上がる
  この切羽で この切羽で 
  仲間が息絶えた
  金のためなら 人の命も奪い去る
  やつらに怒りが燃える

 この 『人として生きる』 の歌は、このときの情況を歌ったものです。
 労働組合は、「同じ坑内に働いていて死んでからも社外員という差別で弔慰金が少ないのでは、労働者の結束はない」と弔慰金を炭労と同額にすることを要求しストライキを構えて獲得します。労働組合は、以後もこの姿勢を貫きました。
66年、経営者は賃金体系を変更し、人事考課を折り込んだ 「新職能給」 制度を提案してきました。これに対して労働組合は、月給化の方向をめざす要求をまとめ、勤続・年齢に基づく 「基礎給」 の新設を勝ち取り、はじめて部分的ではあるが、月給化を実現させました。

 68年、経営者は第3次長期計画を提起します。
 機械の高能率化のなかで、人員体制のアンバランスが生じていました。これに対して労働組合は「なすがままにして、なし崩しに 『合理化』 を受けるより、私たちの力でそれをくい止めてできるだけ労働条件を引き上げる」方針を選択し、「大職種制」 とそれにともなう賃金体系の改訂に取り組みます。
 「大職種制」 は、機械化の進展によって各職種の人員と作業範囲にアンバランスが生まれ、基本的には切羽から人がはじき出され、間接職種は切羽のスピードについていけない状態にあったのを、人員はそのままにして作業範囲を大幅に改訂し、協業部門を取り入れることによって解決しようとするものです。
 それに伴って賃金も職種給の改定や生活保障給の賃金体系要求がおこなわれます。
 経営者の労務課長は後日、次のように述べています。
 「今回の大職種編成のような問題は、普通、学者やコンサルタントに頼んで、面倒な職務調査や職務分析を経てつくりあげられるのが常識であるが、当社の大職種編成は、実際に毎日坑内の現場で働いている労働者自らの手によって組み立てられた。ここに私は大きな意義があると思う」
 組合員の一部からは 「労使協調」 と批判されましたが、労働組合が具体的対案を提出して改善を勝ち取っていきました。労使協議は経営者のヘゲモニーで行なわせるか、労働組合が仲間作り、心身ともに働きやすい職場環境作りの方向から取り組んで提案するかで結果が大きく違ってきます。

 後藤正治著 『はたらく若者たち1979~81』 (岩波現代文庫) は北海道・北炭夕張新鉱の情況を紹介しています。
 81年10月16日、北炭夕張新鉱でガス突出事故が発生し、死者93人を出しました。
 「夕張新鉱は、75年に開鉱した全国でも最も新しいヤマだった。その採炭技術と機械力においては最新鋭のヤマだった。炭もカロリーの高い原料炭である。カロリーの高い炭ほど、炭にふくまれるガスの含有量も多い。
 最新の採炭技術と機械力の資本投下と同じように、悪い自然条件に対応するための保安面における設備投下はおこなわれたのだろうか。事実は、採炭部門の設備投資と逆比例するかのように、保安面は手抜きされていた。……では、そのような保安上の問題について、現場の労働者はなぜ声をあげなかったのだろうか。この点は各方面からも指摘されている。……答えは、馬の鼻づらにニンジンという請負給制度にある。……
 どのヤマでも、収入の6割以上は請負給という仕組みになっている。さらに北炭のばあいは、切羽請負のほかに、ヤマごとの全山請負という他のヤマでは例をみない得意な二重の請負制度がしかれている。
 『請負給やめて全部月給制にしたらヤマの事故の大半はなくなるよ』 ――村上清人・三井砂川炭鉱労組書記長はいいきる。
 唯一月給制がひかれているのは、釧路にある太平洋炭鉱である」

 太平洋炭鉱は日本で最後に閉山になったヤマです。
 ガスが少ないので事故が少なかった、機械の導入が早く、早期に合理化を進めることができたので他の炭鉱に勝つことができたなどの理由が言われてきました。しかし一番の理由は人事政策です。
 安全衛生問題の取り組みは“労働者を人間として尊重しているのかどうか”の視点から始めなければなりません。

 これを読んでどう感じたでしょうか。
 私は100%同感です。
 企業や公務の職場では、必要以上に固定費の削減が行われていないでしょうか。働く人の気持ちを委縮させて、競争が煽られ、人前で辱められても、家族のためにとがんばっている人がたくさんいます。
 本当は違いませんか?
 労働組合が本来の気構えを取り戻すためには、大きく変化させる必要もあるのです。
 どのように?それはフェイストゥフェイスで話しましょう。
 じゃんじゃん。