愛しき日々 その2 ― 2017年06月04日 08:33
今日は日曜日。それにしても寒い。
あ!語調を変えたのであしからず。
やっぱり誰からも反応はないようだ。誰も見ていないのだろう。まあ、いい。
ところで、昨日は孫の運動会であったが、とにかく寒いということしか感想に無い。
それにしても、娘の子だけに、足が速く、活発ないい子だと思う。
妹がいて、まだ幼稚園の年長組のため、昨日は姉の様子を見ているだけであったが、久しぶりに孫とも会って、それはそれで楽しかったが、とにかく寒かった。
江別市にいるので、高速を使うとものの30分ほどしかかからないが、滅多に会うことはない。
とにかく、ある事情があって、家には遊びに「来られない」からだ。
この事情をここに記す気は無いが。
毎日は本当に変化の少ない日々である。考えることと言えば、毎日3回の食事のことと、少し中期的に「家の片付け」をどうするかくらいなものである。
前回、少し未練たらしいことを書いたかもしれないが、未練と言えば、20年誌を作ったときの資料整理がある。これは、運動経過などの資料をファイルにまとめて、おそらく400冊、80箱くらいの量となっているが、これは紙のままにしておくと、当然劣化してしまい、単なるゴミになってしまうから、PDFファイルにデジタル化するのが一番だと思う。
20年誌の資料としてだから、1987年の民間による労働戦線統一から、2005年くらいまでの紙資料となっている。ただし、2000年以降は、パソコンが導入されて、サーバー等に相当資料が残っているので、当面は心配が無いが、1987年から1999年までの分は紙でしか残っていない。
まあ、実は、1990年頃から使っていたワープロのデータは、一部だけれど残っているのだが、十分には整理されていない。
従って、20年誌資料の保存化とワープロデータ整理は我が歴史の課題として残っている。
それと、どうするか気になっているのは、30年誌のことだ。
2020年には30年になるが、20年誌の補追を作るのか、30年誌としてまとめるか、決めるのは現職だろうけれど、それを作業するのは誰かと言うこと。
我は、20年誌作成時には既に現職を離れていたのだから、30年誌までの10年間はどうしても傍観者的立ち位置になろう。
それと、この10年は、宿敵のM事務局長の時代であり、ろくに記すべきことも見当たらないはずであるから、相談されれば検討はするが、自分で名乗り出る気はさらさら無い。
まあ、経過史料の編纂などでは複雑な出来事がないだけに、逆に作業としては非常に楽であるとは思うが。
値段次第である。
値段にこだわるのは、別に金に困っているからではなく、「プロパー」である我にとって、つけられた値段は我への評価でもあるはずだから、それでこだわるのである。これも、まぁ、少しはお金に余裕がある方が望ましいことであるのは事実だが。
多少疲れてきた。本日はここまでにしておこう。
じゃんじゃん。
あ!語調を変えたのであしからず。
やっぱり誰からも反応はないようだ。誰も見ていないのだろう。まあ、いい。
ところで、昨日は孫の運動会であったが、とにかく寒いということしか感想に無い。
それにしても、娘の子だけに、足が速く、活発ないい子だと思う。
妹がいて、まだ幼稚園の年長組のため、昨日は姉の様子を見ているだけであったが、久しぶりに孫とも会って、それはそれで楽しかったが、とにかく寒かった。
江別市にいるので、高速を使うとものの30分ほどしかかからないが、滅多に会うことはない。
とにかく、ある事情があって、家には遊びに「来られない」からだ。
この事情をここに記す気は無いが。
毎日は本当に変化の少ない日々である。考えることと言えば、毎日3回の食事のことと、少し中期的に「家の片付け」をどうするかくらいなものである。
前回、少し未練たらしいことを書いたかもしれないが、未練と言えば、20年誌を作ったときの資料整理がある。これは、運動経過などの資料をファイルにまとめて、おそらく400冊、80箱くらいの量となっているが、これは紙のままにしておくと、当然劣化してしまい、単なるゴミになってしまうから、PDFファイルにデジタル化するのが一番だと思う。
20年誌の資料としてだから、1987年の民間による労働戦線統一から、2005年くらいまでの紙資料となっている。ただし、2000年以降は、パソコンが導入されて、サーバー等に相当資料が残っているので、当面は心配が無いが、1987年から1999年までの分は紙でしか残っていない。
まあ、実は、1990年頃から使っていたワープロのデータは、一部だけれど残っているのだが、十分には整理されていない。
従って、20年誌資料の保存化とワープロデータ整理は我が歴史の課題として残っている。
それと、どうするか気になっているのは、30年誌のことだ。
2020年には30年になるが、20年誌の補追を作るのか、30年誌としてまとめるか、決めるのは現職だろうけれど、それを作業するのは誰かと言うこと。
我は、20年誌作成時には既に現職を離れていたのだから、30年誌までの10年間はどうしても傍観者的立ち位置になろう。
それと、この10年は、宿敵のM事務局長の時代であり、ろくに記すべきことも見当たらないはずであるから、相談されれば検討はするが、自分で名乗り出る気はさらさら無い。
まあ、経過史料の編纂などでは複雑な出来事がないだけに、逆に作業としては非常に楽であるとは思うが。
値段次第である。
値段にこだわるのは、別に金に困っているからではなく、「プロパー」である我にとって、つけられた値段は我への評価でもあるはずだから、それでこだわるのである。これも、まぁ、少しはお金に余裕がある方が望ましいことであるのは事実だが。
多少疲れてきた。本日はここまでにしておこう。
じゃんじゃん。
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