愛しき日々 その6 認知症とのつきあい2017年06月08日 08:13

 今朝、87歳のばばあ(自分の母親)とけんかした。
 なぜか機嫌が悪く、「体調が悪いときに、お父さんは何もしてくれない。・・・・」などと、例のごとくぐたぐた文句を言いながら、それでも朝飯を作っていた。
 そうしたら、こちらも売り言葉に買い言葉で、「具合が悪かったらなぜこちらにすぐ電話をくれないのか。手伝うのは、親父ではなく、俺ではなぜだめなのか」などと言ったもんだから、朝飯を食った後に自分の部屋に入ってむくれてしまった。

 母親は妙にプライドが高く、認知症が始まってからは特に偶数月のはじめに、つまり、年金が出る月の前になると、なぜかぐだぐだといろんなことを言い始める。手持ちの金がないかと思えば、そうでもないのだが、妙に切迫感を持って、気分が不安定になるような気がする。

 実は今日は、包括支援センターから3ヶ月ごとの巡視があり、担当者が来訪したのであるが、その対応の時は、これまた猫かぶりで、あたかも異状が無いかのごとく振る舞う。
 しかし今回はこちらから、入浴サービスの件を切り出してみた。91になる父の入浴が心配だからだが、母はとにかく他人の介入を嫌うため、「今のところ心配ない」を繰り返す。しかし、週2回の入浴のうち1回でも介助入浴ができればリスクは半分になるわけだから、これはこちらとしても譲れないところだ。今のところ要支援1だから週1回の入浴サービスしか受けられないようであるが、それでも1回600円くらいの負担で送迎付き入浴介助であれば、願ったり叶ったりである。

 そんなこんなで両親を挟んで話をした後、階段前で担当者と二人だけで話をしたが、施設介護は今のレベルでは難しいようだ。
 案外、制度としてはハードルが高いようだが、これは本人たちにももっと理解してもらわねばならないだろう。せめて巡視の時はもっと弱った振りをせよと。
 じゃんじゃん。

愛しき日々 その72017年06月11日 10:16

 認知症の続き。

 先日も様子を見に行ったら、お袋は相変わらず部屋にこもったままであった。飯は作って食べているらしい。
 これは、困ったことではあるが、もしかすると認知症とはいえないくらいの初期段階と考えた方がいいかもしれないと、少しうれしくなった。
 なぜなら、認知症であれば、昨日のグダグダはすっかり忘れているはずであるのに、忘れていないのだから、これは慶事ではなかろうか。

 もう一方の考えとしては、「妄想」が継続しているとすれば、認知症で言うところの「中期」と言うことになる。

 とはいえ、親父が顔を見たところ少し疲れ気味であるみたいで、その方が心配である。本当にあの二人は、二人で一セットみたいなものと考えざるを得ない。
 洗濯もして、干してあったから、日常の生活事項はできているようだが、そうすると、何がきっかけで機嫌が悪いのか、全くわからなくなる。

 これからは、気温が高くなる。14階に住む彼らの部屋は景色こそとてもいいが、日の入りがほぼ一日中あって、本人たちの脱水の心配と、調理場・台所の衛生状況が心配である。
 行く度に清潔になるよう心がけてはいるが、どうも我が家にはない臭いが台所の周辺にいつもあって、原因を突き止める必要があるだろう。

 認知症の世界と我々の普段住む世界とは全く違うのだという解説が、多くのところで見られるが、おそらく65歳の我の意識はその境目を、いわゆるスペクトル的に位置づけられるのだろう。

 だから、そのうち、親たちの世界がわかるようになるのかもしれない。いつか。まぁ、それまで生きていればの話だが。

実は、その後、父の91歳の誕生祝いを行きつけの寿司屋でしたところ、お袋の機嫌も直っていて、なごやかに過ごすことができた。

 また、19日から週3回程度配食サービスを受けることと、週1回の入浴サービスについても合意ができた。この辺までの話はとんとんと行ったが、要するに本人たちの気持ちが弱ってきたことの証かもしれない。

 まぁ、それはそれで、いいんでないかい。じゃんじゃん。