キャリア・デザインやキャリア・カウンセリング???2013年06月13日 09:33

 最近よく聞く言葉に「キャリア」という言葉があるだろう。特に若年者の就活や職業生活の中で、その言葉が「もてはやされている」と思うが、じゃぁ「キャリア」って何よ?と問われれば、正確に答えられる人は少ないように思う。
 日経文庫に「キャリアデザイン入門Ⅰ・Ⅱ」があったので買ってぱらぱらと呼んでみたが、出だしに書いてあったことは、「キャリアとは漠然とした概念」と言うことで、自分の考えはそう的外れではなかったように感じて安心した。
 しかし、産業カウンセラーの職掌にも実はキャリア・カウンセリングというのがあって、「職業選択のなかで、自己実現についての不満が、心理的不安定を助長する」というようなものについて、職業生活への適応や発達、人間的な成長を目的として、キャリアアップ(昇進・昇給)などの具体的な目標を実現することだそうです。
 いや~世の中複雑になったモンですね。うつなどの病者がキャリア・カウンセリングを必要とするのなら、よくわかるのですが、どうもそれだけではなくて、ごくごく普通の若年者も、あるいはある程度の中年者も、キャリアにこだわる価値観を持っているということは、私には理解不能です。
 
 少し自分の「キャリア」について考えてみました。
 職業というものが、「自分で食うための行為」であるなら、東京での出だしは、新聞配達で毎日新聞と朝日新聞です。特に記憶に残るものはありませんが、何人かいる従事者で配達の競争をした覚えがありますし、「順路帳」というのがあって、記号で表示し、体調不良などで休んでもだれでもできるように一応なっていることくらいが、キャリアでしょうか。そのほか、レストランのウエイターで皿を4っついっぺんに運ぶ方法とか、ガソリンスタンドで、車の点検はどうしたらいいとか、オイルの点検は、ファンベルトの張り具合は、・・・その後の自分の人生でも結構役に立つことが経験できていました。
 釧路に帰ってからは、水道工事会社で、工業高校の卒業者なら難なくこなすようなことでも、普通高校の自分には???が多かったのですが、工事現場の日報、経過報告書、現場写真、設計書の読み方、などなど、別にイヤイヤやっていたわけでなく、むしろどうやったら昨日よりうまくできるかと言うことが興味の対象でした。これもキャリア?
 労働組合に就職してからは、「書記」というものの役割を先輩から、あるいは見よう見まねで、自分の理想とするものに近づけるように、能力を磨いたことも、キャリアですか?例えば、「確定申告闘争」というのがあって、いわゆるサラリーマンは源泉徴収制度で毎月びしびし徴税されているのは、負担の公平原則に反する。サラリーマンにも必要経費を個別に認めるべきだということで、給与所得控除以外に背広代や靴代をオンすると言うことでしたが、これをすすめるために所得税法や「確定申告の手引き」などを読み解き、人に説明するための資料を作り、学習会で指導する・・・というのももしかして、キャリア?
 仕事というのは、自分や家族が食うためにするものでしょう。そりゃあ、その職業で自己実現ができればそれは一番でしょうが、実現すべき自分がわかっての話で、単にわがままだってこともありそうなことで、それぞれの職業には必要な能力は当然あって、それを身につけることの方が、私にはおもしろいと思えてなりません。
 例えば、普通の会社では、総務部門・生産部門・販売部門・企画研究部門などがあると思いますが、それぞれに、生産部門であれば、法的に必要な資格を含め、それを身につけることが目標になるだろうし、総務部門では、もしかしたら、従業員の給料が全部わかるセクションかもしれず、経験を積めば社労士も目指せる。販売部門では、長年のデータで、売れ筋や購入者を割り出し、うまく当たれば、「してやったり」だろう。
 我が労働組合でも、総務部門は政治関係もあるが、とにかく他のセクションがうまく回るように様々な気を遣うことが求められ、組織対策部門では、とにかく膨大な数の人と会って話をすることが求められる。道民運動部門では、地域の課題を掘り出すことと、全体の合意の形成(一応の価値観の合意)や組合員をその気にさせるための動機付け。政策部門では、労組個別の政策課題と地域の政策課題があたかも一致しているような世論操作・・・と書いたら叱られるかもしれないが、そんなことを考えながら、しこしこやっていると思いますが、これらは別に自分のキャリアになるのかもしれないけれど、それはあとから付いてくる話で、しかもそれを価値あると判断するか、価値がないと判じるかは、他人でしかない。
 つまり私の考えでは、与えられた仕事をこなすことに全力を挙げることで、自分のキャリアは形成され、つまり先にキャリアありきではないが、キャリアは確実に積み重なっていくから、今は心配しないで、一生懸命仕事をすれと言うことです。
 だからどうよ??? じゃんじゃん。

愛着障害というもの その12013年06月14日 10:33

 光文社文庫に「愛着障害(岡田尊司)子ども時代を引きずる人々」という本があります。しばらく読み続けて、感動したので、何回かに分けて要約します。

 「愛着」とは、生後6ヶ月くらいからの1年間、つまり1歳半くらいまでの間に形成されるものだそうです。従来はこの愛着の問題が、子どもの問題であり、しかも特殊な家庭で育った子どもの問題であるという認識でしたが、近年は、一般の子どもや大人にも広く見られる問題との認識となってきているようです。例えば、うつ病や不安障害、依存症、境界性パーソナリティ障害(BPD)などのリスクを高めるほか、離婚、家庭崩壊、虐待やネグレクト、結婚回避、引きこもり、非行や犯罪の背景として、考えられつつあると言うことです。また、発達障害と誤診されることもままあると言うことでした。
 例えば、以下のことはどこにでもよく見られることかもしれないが、愛着の特性としてみれば、説明が付くらしい。

なぜ、人に気ばかりつかってしまうのか。
なぜ、自分をさらけ出すことに臆病になってしまうのか。
なぜ、人と交わることを心から楽しめないのか。
なぜ、本心を抑えても相手に合わせてしまうのか。
なぜ、いつも醒めていて、何事にも本気になれないのか。
なぜ、損だとわかっていて意地を張ってしまうのか。
なぜ、拒否されたり傷つくことに敏感になってしまうのか。

 これらの性格的な傾向は、愛着という問題の安定性や不安定性、回避性などにより、自分や周囲、顧客、児童・生徒など、人との交わりと生き方に深く関わり、人生を大きく左右すると指摘されています。

 愛着は、抱っこから始まるようです。抱っこはスキンシップということだけでなく、「支え、守る」という意味もあります。子どもは母親に抱っこされることで、成長・免疫・神経ホルモンなどの活動が活発になりますが、母親も子どもに対する愛着が強められるようです。つまりこの段階で十分な抱っこがなければ、子どもと母親の両方にその後の影響があることになります。「抱っこされていれば、甘えん坊にならないか?」と昔は考えられていましたが、今や一見弱々しく見えても、実は強くたくましく育ち、それは大人になっても持続するそうです。
 ただし、実は「誰でも」というわけにもいかないようです。
 昔、イスラエルの集団農場キブツの「実験」が教訓となっています。それは、「一人の母親が一人の子どもを面倒見るのは効率が悪いので、複数の親が時間を分担して、それぞれの子どもに公平にかかわれば、効率が良く、親に依存しない自立したすばらしい子どもが育つに違いない」と実行されましたが、その子たちが大きくなると、重大な欠陥が生じやすいとわかったそうです。その欠陥とは、親密な関係に消極的になり、対人関係が不安定になることが多いことですが、さらに、その子ども、つまり孫の時代になると、周囲に無関心で、無気力な傾向が目立つことに気付いたと言うことでした。
 この教訓は、愛着には抱っこという行為と、特別な存在が必要だと言うことを示しています。これを愛着の選択性といいます。母と子の間の安定した愛着は「愛着の絆」で結ばれるのです。
 じゃぁ、父親ではだめなのか、祖父母ではどうかということになりそうですが、父親がこの期間(6ヶ月~1歳半)家にいられれば代理にはなりますが、とても難しいでしょうし、実の親がそばにいても、同居する祖父母に任せて母親があまりかわいがらないと、後年、不安定になりやすいとされています。

 ちなみに、我が家では、息子が生まれたときに、看護婦(当時の呼び方)であった連れ合いには、「3年間は家にいてほしい」と伝え、そのようにしてくれました。ただ、その間に次の子ができたので、結局10年以上復帰できませんでしたが。それで、我が子たちに愛着問題がないかと言えば、ん~ん、どうでしょうか。連れあいといつか話し合ってみたいと思っています。
じゃんじゃん。

愛着の問題(改題) その22013年06月17日 11:17

 このシリーズは、もしかすると、「その10」くらいまでになるかもしれません。実は、当センターの冊子改訂版に向けた作業の一つなのです。
 それで、前回は、愛着の重要性や形成時期と選択性についてでしたが、今回はそれがうまくいったときと、いかなかったときについて、少し要約します。

 愛着がよく形成されると、その絆は半永久的に持続するそうです。この絆による行動は「愛着行動(J・ボウルビィ)」と言います。よくあるのは、子どもが「ママ」「お母さん」と泣いて求めることですが、アニメの「母をたずねて三千里」のマルコ少年のように、距離や時間をものともせずに愛着の対象を求める行動となるほど強いものです。それに感動するのは、見る側にも愛着が確立されているからだと思われます。斎藤茂吉の歌集「赤光」や遠藤周作のエピソード(遠藤順子著作)は、母への思いの強さを知らせます。

 一方、その形成に失敗すると、傷ができたり脱愛着ということになります。例えば、死別や離別を経験した子どもは、まず現実を受け入れる前に「抵抗」を示し、次に抑うつ的な「絶望」となります。その状態で数ヶ月過ぎると、脱愛着として母親の記憶を封印するのだそうです。それは生き残るための子どもの知恵だと言うことです。子どもは保護者なしには生き残れないからです。
 愛着を脅かすもう一つの状況は虐待・ネグレクトです。この状況では、子どもは親を求める感情と、恐れる感情の狭間で、ついには「自分が良くないから・・・」と自虐的感情に至るそうです。そうして自分の心を納得させることになります。この経験をした子どもは、大人になっても「親に認められたい」「愛されたい」という感情を引きずり、過度に気に入られようとしたり、困らせたり反発したりすることでこだわり続けるようになるということです。

 ここで、愛着に関するもう一つの概念が入ってきます。それは「安全基地(M.エインスワース)」です。1歳半頃までにきちんと母親という安全基地を築くことができた子どもは、少しずつ母親を離れることができるようになりますが、それは、何かあったときに母親が安全基地として機能してくれるからで、3歳ころにはさらに外界に出かけて好奇心を発揮することができるようになります。
 一方、十分に機能する安全基地を持たない子どもは、知的興味や対人関係で無関心や消極的なことが多いといわれます。これは大人になっても同じで、安定した愛着を築いた大人は仕事でも対人関係でも積極的となりますが、そうでない場合は、外界のストレスに脆弱となり、精神疾患や依存症のリスクを抱えることになります。
 ただし、「過保護」はむしろ牢獄と化してしまい、自立を遅らせることになります。安全基地は必要なときに機能するためにあり、求めていないときに縛るものではないのです。

 ん~ん、少し愛着が見えてきましたか?
 自分の場合はどうだったんだろうと少し考えました。1951年生まれで、4人兄弟ですが、一番下の弟とは9歳離れてますけど、その中間の妹たち二人とは2歳違いずつですから、ギリギリ愛着の形成には間に合っていたのかもしれません。いや、きっと私は愛着に問題を抱えているのかもしれませんが、今まで生きてきたから、良しとしましょう。
 次は、子どもの愛着パターンと大人の愛着スタイル。いよいよ最初の山場です。じゃんじゃん。

愛着の問題 その3 子どもの愛着パターン2013年06月19日 10:57

 これまでの2回は子どもの愛着行動について、安定している場合と不安定の場合に、子どもが生き残るための反応というギリギリの状況を中心にしてきました。
 次は、子どもの愛着行動のパターンを知ることによって、大人の愛着スタイルを考えてみることになります。何が違うかというと、子どもは養育者が変わることや、養育者が同じでも接し方が変わることによって、つまり相手によって愛着スタイルが変わる可能性が大きく、しかもその対象がごく限定されていることから、子どもは愛着パターン、大人は愛着スタイルと区別するそうです。

 それで、子どもの愛着行動のパターンですが、大きくは安定型(6割)と不安定型(4割)に分かれますが、不安定型はさらに回避型(2割)、抵抗/両価型(1割)、混乱型(1割)に分かれます。
 安定型は、安全基地(母親)が確保され、ストレスを感じたときに適度な愛着行動を起こします。
 回避型は、安全基地を持たないため、ストレスを感じても愛着行動をおこさないタイプで、小さいころから養護施設等で育った子どもに多く見られます。大きくなると反抗や攻撃性が見られやすい。
 抵抗/両価型は、母親の安全基地機能が十分でないため、離されると激しく抵抗しますが、再び母親が現れても容易に反応しない。しかしいったん再会するとなかなか離れようとしない。過剰的な愛着行動となります。親の態度の差が大きい場合や過干渉の場合が多く、不安障害のリスクが高くなります。
 混乱型は、虐待を受けている場合や親が精神的に不安定の場合に見られやすいようです。安全基地が時に危険な場所になることで子ども自身が混乱していると言えるそうです。境界性パーソナリティ障害になりやすいといわれています。
 
 このほか、子どもの愛着行動のパターンによって、子どもが生き延びるために補完的な行動をとることがあります。それは、統制型の愛着パターンと呼ばれますが、無関心や虐待など無秩序な状況に対し、子どもながら秩序をもたらそうとするコントロール行動です。その戦略は大きく三つに分かれます。
 一つ目の支配的コントロールは、暴力や心理的優越により相手を思い通りに動かそうとすること。
 二つ目は、従属的コントロールで、支配的とは逆に相手の愛顧を得るために合わせたり気に入るように振る舞ったりします。しかし、これも結果的に相手を意のままにしようとする意味でコントロールです。
 最後は、操作的コントロールで、支配的と従属的とを複雑に絡み合わせ、相手に強い心理的衝撃を与え、同情や共感や反発を引き起こすことによってコントロールしようとするもの。
 これだけ聞くと、え~え!と思うかもしれませんが、早ければ3歳(虐待を受けている場合など)から4歳くらいで、いずれも不安定な愛着を補完することでバランスを保つ意味があるそうです。

 今回は愛着のパターンというごく初期の問題を見てきました。しかし、この初期のパターンが7~8割はそのまま大人の愛着スタイルとなるといわれています。
 単純に考えると、子どもでは4割であった不安定型愛着が大人では、3~2割となるとすると、いくらか大人になる間に改善すると言えそうですが、改善しなかった場合、どうなるのでしょうか。
 愛着障害として米国精神学会診断基準(DSM-Ⅳ-TR)にも示されている通り、例えば、誰にも愛着を示さない抑制性愛着障害は自閉症スペクトラムと見分けがつけがたく、発達障害のAD/HDと診断されることもしばしばといっています。
 
 愛着問題は、世界大戦で親を失った子供たちの行動を調査して規定されてきましたが、その後の調査で、一般の子どもでも30%以上に愛着の問題が見られることがわかり、大人でも同様であるとなってくると、虐待やネグレクトがそんなに多い比率とは考えられず、その原因を探るうちに、現代が抱える様々な問題にかかわっているほか、対人関係や生き方の根幹に深く関わる問題と認識されるようになりました。
 ということで、愛着問題の最初の山場は終わります。
 労災審査の書類を読まなければならないので、次は来週以降になりますってさ。じゃんじゃん。