AKBの丸刈りと全柔連とハラスメント2013年02月05日 16:31

 ん~よくわからない題だが、実は全部共通しているような気がした。
 AKBのナンタラさんが男とどこかに行ったというのがすっぱ抜かれて、AKBやめたくないからと丸刈りにした話は、いま全国安全センターの「いじめ・いやがらせ対策局」で話題になっている。
 あれを強要したのは誰かと言うことだけれど、一つは本人に「ばれないだろう」という甘えがあったのかどうか。それとも、覚悟の上で、AKBよりも男を選んだのであれば、むしろあっぱれなことかもしれない。丸刈りになることもないだろうし。
 確かに、誰かが丸刈りを強制して、いわばやくざの「エンコ詰め」させて 詫びいれてAKBに残ることで、利益を逃すことがないやつがいるんだろうけど、もともと、若い女性の集まりで、女性と言えばやはり「恋愛」大好きな集団の中で、男の「話」しかできないルールというのがはたして、真っ当なのかということも考えるべきだろう。これはむしろ「校則的いじめ」の類ではないだろうか。一言でいうと、くだらない。
 女性の髪は労災でも特別の意味を持っている。最近は男の髪もらしいけど。これを誰かが強制的に丸刈りにさせたとしたら、傷害罪に当たることも考えられる。

 一方、全柔連は、前監督の続投をはかったけれど、うまくいかなかった。その上司の理事も辞めるという。
 暴力などは言語道断。しかも、年端もいかない子供相手じゃああるまいし、代表にするかしないかの権限を持ってもいるとすれば、明らかに暴力が無くてもパワハラだがね。
 男子柔道のていたらくを考えても、精神論・根性一辺倒の非科学的神頼みでは、勝てるわけないわなというのは、体育会系の人生を送ったことがないからいうことだろうか。
 そんなことはないと断言できるだろう。人を奮い立たせるのは「恐怖」ではなく、「期待」や「希望」なのではないか。そこを間違えると、何もしないことが失敗しない一番の方法となってしまう。

 職場のハラスメントも、上意下達の一方通行の世界で、無責任な根性論がはびこり、共同作業(チームワーク)をないがしろにしていると、ハラスメント大流行の職場となるのではないか。

 ところで、中国がいよいよ宣戦布告しそうだけれど、我が国はどうするのかね。人ごとではないけど、照準レーダーを数分も当てられて、回避行動と反撃をしない軍艦や武器は、いわゆる「張り子の虎」だがね。核兵器と同じで、「持っていることが抑止力」にならないことがはっきりしたんだべさ。
 これが民主党政権だったら、マスコミの騒ぎ方は尋常ではなかっただろう。妙に冷静なのがおもしろくないね。おそらく、マスコミも思考停止状態なんだろうさ。おたおたしちゃってるんじゃあないかね。
 さあ、世論をどっちに持って行くのか、見ものだ。
 私の意見は、いまこそ民間外交を展開するのか、売られたケンカは買うのか。どちらだと思う?
じゃんじゃん。

この3連休は忙しかったさ2013年02月12日 09:36

 みんな暇してると思うけど、この3連休は忙しく過ごしました。
 2月9日は八雲で、フード連合傘下単組の「メンタルヘルス・ハラスメント研修会」がありました。
 9時19分の北斗に乗って、八雲に降り立ち、出迎えてくれたので、そのまま昼食に行きました。八雲のそばはうまかった。
 その後、コミセンみたいなとこで、前半は「メンタルヘルスはなんぞや」の学習会2時間と、後半は「チーム作業とメンタルヘルス」のグループワークを行いました。後半のグループワークでは、職場の良いところ3点と、改善点3点を討議するのですが、やはり改善点はすぐ出てきても、良い点となると、どう評価するか迷っているようでした。
 それでも、グループワークの結果を発表してもらうと、出てくるは出てくるはでそれぞれ30点くらい出てきましたので、それをどうまとめるかでは、相当乱暴でしたが、あいさつを大事にする、職場研修などスキルアップの機会を設ける、など数点にまとめました。私の方からはさらに産業医の選任について、今は旭川の医師が年1回の健診に来ているだけなようなので、間近の産業医にした方がいいということを申し上げました。
 八雲は全体的にうまくいったと思います。グループワークを指揮するのは初めてでしたが、グループで相談する意味を確かめる「スクエア・ゲーム(図の正方形を数えるゲーム)」では予定通り、個人では正解が出ず、グループワークで正解にたどり着くことができたのですから、うまくいったということになります。
 ただ、八雲は寒かった。雪はそうでもないのにとにかく夕飯のところも、その後のスナックも、ホテルも寒かった。

 月曜日はセミナーに参加しました。発達障害の当事者と雇用先の担当者が発言する「当事者セミナー」でしたが、見事にコミケに障害があることが状況としてわかりました。
 若者が、大学を出て1回目の就職には3ヶ月で失敗し、高次機能発達障害の診断を受けた後、ある病院の管理部門に障害者枠で就業して、一生懸命働いていることの例に沿って、障害者の就業支援について考えるセミナーでしたが、その若者が、自分の経過について話すときは、結構パニクっているようで、なかなか話し始めない、始められない場面もありました。
 その就業を支援するNPOからも報告があり、当事者(家族)と職場、支援者(NPO)の3者のコンビネーションが成功の鍵であり、これが何かがかけて2者になったり、当事者だけの1者であればとても大変だということがよくわかりました。
 ただ気になったのは、その病院の発達障害者への理解度が、「健常者と何ら変わることなく接する」ことのみに集約されていて、やはり軽度の場合にのみに適用可能なことと、当事者に就労意欲がないときの対応については、特に話題にならなかったのは、こちらの参加動機とはすれ違うものでしたが、当事者の現実に触れ得たことは収穫でもありました。当事者の方と、その職場の方たちの勇気に敬意を表します。
 ということで、明日は代休を取ります。じゃんじゃん。

我が家の愛犬が亡くなりました2013年02月22日 12:22

 今朝、家族の一員で16歳10か月の長寿をまっとうして、旅立ちました。まことに静かに眠るような最後でした。
 いつものように稲積公園駅から通勤電車に乗ったとたんに、連れ合いから電話が入り、涙声でいぬが死んだというものですから、急いで次の発寒で下車し、タクシーで戻りました。
 家に入ってみると、まだかすかに呼吸をしていましたが、いかにもかすかで、まもなくという状態でした。
 そのまま手足を触っていると、呼吸が止まりました。連れ合いが看護師なもんですから、聴診器で心音も確認しましたが、もう、聞こえませんでした。
 約17年前、生後3ヶ月ほどで我が家にきました。父母と離されるのが犬の宿命とはいえ、寂しく、心細かったと思います。最初はどう飼ったらいいのかわからず、玄関に置きましたが、一晩中鳴いていたようです。
 子供たちが小学生と中学生で、可愛がっているのかいじめているのか良くわからなかったのですが、家族の一員として、むしろ家族が家族としてまとまるべき中心として、存在してくれました。
 この間はほとんど共稼ぎでしたから、うちでお留守番をすることになりましたが、連れ合いが帰ってくるまで、おしっこを我慢して待っていたようです。
 毎朝と週末の夕方のお散歩は私の担当でした。町内を10分ほど回る程度でしたから、らくなもんなのですが、とても楽しみにしていたみたいで、お散歩いくよと声をかけると、喜んで走り出しました。でも人見知りが強く、他の犬とは馴染むことがありませんでした。
 2年前の暮れ近くに、シャンプーで目を痛め、お散歩もあまりいけなくなりました。前足もだんだん動かなくなって擦ってあるくようになったので、家の庭だけになりました。
 それでも、やはり私たちの家の絆の中心でありました。

 いまは静かに眠っています。
 楽しかったときは本当に楽しそうに、元気をくれました。辛いときも、何時もそばで、心配そうに見上げてくれました。励ましてくれました。
 ありがとう、ありがとう、ほんとうに、ありがとう。
 天国で、生んでくれたお父さんやお母さんに会って、私たちのことも伝えてください。
 そして、心安らかにお眠りください。
 私たちは君の面影を胸にし、生涯忘れず、健やかに生きたいと思います。
 松蔵くん。ありがとう。

命って暖かい2013年02月23日 09:31

 我が家の愛犬と最後の晩を過ごしました。連れ合いとの間に置いて、川の字で寝ました。

 昨年の暮れ近くから、ほぼ寝たきりで、ときどき生きてるかどうかを確かめるために、自分の顔を近づけると、餌の臭いがしたり、つぶった目の目蓋がピクピクして、おー生きてると確認できました。
 手足、特に足が冷たいときはなかなか眠れないようで、ワンワンと吠えて、足を暖めてくれいと、要求するのですが、この小さい身体(3Kg)からはびっくりするくらいの大きな声でした。しかたがないから、掛けてある毛布の中に手を入れて、手のひらで包み込んで暖めてやると、だんだんうつろな目になって、やがてスヤスヤと寝るのでした。本当にかわいいのです。 少しご機嫌が悪いときは、顎の下を撫でてやると、これもよく眠らす手でした。

 でも、いまは、もう眠っているのです。

 十日ほど前から、要求で吠える声が迫力を失ってきました。ささやくような疳高い吠え声に変わりました。連れ合いも私も、もうまもなくかなとは思いつつ、口には出しませんが、覚悟しつつありました。
 でも、手足を握ると暖かいのです。命はまもなく終わろうとしているのに、温かいのです。一生懸命生きようとしていました。
 命は温かいのです。大事なのです。この世に生まれ、辛いことがあっても、幸せが薄くても、温かいのです。