はや63 一年一年 生きてゆく2015年01月23日 10:30

会社のまどから「雪の花」
 今回は、特にテーマがありません。
 書こうと思えば、糖尿病やら慢性腎臓病などいくらでもテーマは用意されていますが、今日は、今の心境を中心にしてみます。

 表題は、字余り川柳ですが、その通りだと思っています。
 よくちまたに、「老後の設計のしかた」だの、「生き生きとした老後」、「趣味に生きる老後」、「人生の楽園」だのと、たそがれ人生の指南本があります。大きな書店に行ったら、コーナーもあるかもしれません。
 人生50年かと思ったら、いまや平均寿命は80歳だとか。
 60歳で一応の定年を迎え、再雇用が義務化されたので、65歳までは大幅な労働条件ダウンでもがまんして働き続け、職場では邪魔にされ、家でも身の置き場がない。なんて愚痴ってもしようがないのですが、男の人生は、子をなし、育てる資源をなんとか確保したら、後は用がないことも事実です。世界における命の継承は女系なんです。間違いなく。
 だから、自分が存在したことの証を求めるなんて、普通の男には望んではいけないことなんです。

 これは人間だけではなくて、ほ乳類動物にほぼ共通していることではないでしょうか。

 ところが、人間だけは、まもなく死んでいくことは100%間違いないのに、それまでの10~20年間、どう生きるかと言うことを人に聞かなきゃ分からないらしい。あるいは、そこに「生きる意味」を見つけなきゃ落ち着かないらしい。

 「いいじゃぁないのぉ」というのが、去年の流行語大賞の枕詞でしたが、その通り、いいんじゃあないの!
 だいたい平均寿命といえど、あくまでも平均で、己はどうなるかなんて誰も自分では分からない。たとえ病気で医者に宣告されたにしても、今の医学じゃぁどちらにしろ「八卦」とたいして変わりゃぁしないんだよ。
 うちの親みたいに90に近くなると、「来年」はあるかどうかなぁ~という気持ちになるのは、よく分かるが、かといって、63の今の自分が「来年は・・・」と心配するほどでもないだろう。分からんけど。

 じゃぁ、どうする?と自分で問う、自問するのはかまわないけど、人に聞くバカなやつもいるから困る。
 私も、あと1年と10ヶ月で65歳になるから、ここからは晴れて「年金公務員」になる。

 やりたいことはある。やはり職業を離れたら、地域に属するしかないだろうと思うが、この「属する」というのも嫌な考えだね。今までは組織(会社など)における「・・さん」が自分の存在のほぼ全てだったから、社会的にもそれですんだけど、こんどは、「どこそこに住んでいる・・さん」になるわけで、やりたいことは、やはり地域貢献といえば大げさだけど、うちの住宅団地もおばあさんの1人住まいが多くなってきたから(じじいはどうした?)、見回りが必要だろうと思うので、少しは元気なうちにそんな役を買って出ようかなと思っていたりする。

 あとは、毎日、三度の飯を食い、好きな本を図書館から借りて(買うことは控えようと思う)、10年は着古したものを着て、晴れた日には外でひなたぼっこをして、家にいるとうるさがられるから近くの「ちえりあ」か「イオン」にいって暇をつぶし、夕方にはカラスと一緒にかえってくる。そんな日常になるだろう。
 「そんなんじゃぁすぐ飽きるだろう?」って思う人は、まだまだ生臭い人だね。地域と言っても毎日変化するモンだ。散歩するといろんな面白いものが街にはあふれています。
 たまにゃぁ人混みに紛れてみることもあるかもしれない。近くの森林公園に行って、森林浴もいいかなと思ったりする。

 ひとつはっきりしているのは、「世の中を変える」気はないと言うこと。そんなことはやり飽きた。
 年金減らすなら、食うものや着るものを減らすだけ。北海道だと暖房を小さくするだけ。
 若いうちは本気で「社会主義」をめざしたかもしれない。次は「社民主義」の平和で衡平な社会をめざしたかもしれない。
 それは今思えば、ある程度成功している気がする。己の生活を見ても、格段にちがってきているから、分かるだろう。

 「無責任だ」と怒るやつがいるかもしれないけど、本音を言うと、「疲れた」のですよ。
 次の次代を担うのは、次の人たちであり、自分ではないのだから、「好きにしてくださいよ」と言うのが、今の気持ちです。

 だから、会社の隣の部屋にいる退職者団体のように、今もって昔の価値観で、世の中を変えるなどと息巻いてるのは、すこし「ウザイ」なんちゃって。
 へへ、じゃんじゃん。