「祈り」とはなにか その2 ― 2015年03月14日 10:09
さて、「脳科学から見た「祈り」」の続きです。
次に出てくるのは、海馬が関係する「展望的記憶」です。
これは人間が生きていくのに必要な目標を描き出すことだからです。単にスケジュール管理がうまいと言うことよりも、10年後、20年後の社会や自分を展望することが海馬を活性化させるのですが、「良い祈り」はここでも例のベータ・エンドルフィンやオキシトシンの分泌を増やすことによって、展望的記憶の強化に役立つのだそうです。
そもそも祈りは未来に向かって祈るもので、過去にあったことを祈るのは「呪い」になります。
脳医科学から言うと、日常的に祈る人ほど展望的記憶をしっかりもって、いきいきと生きることになるようです。
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ということは、「お寺さん」や「牧師さん」は活き活きとしているかというと、まあ、そういう人もいるでしょうが、銭勘定ばかりしている人もいて、一概に活き活きとは行かないでしょうね。
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その次は、「免疫」です。
「プラセボ効果」というのを聴いたことがあるでしょうか。「偽薬効」というもので、薬の効果を確かめるときに、半分の被験者に本物を与え、残り半分に偽薬をあたえて「有意差」を見るわけですが、この偽薬グループにも3割ほど薬効が現れるそうです。これは偽薬であっても、「薬を飲んだ」という意識で免疫力が高まり、いわゆる自然治癒力が働くからだそうで、ここに関係するのがオキシトシンです。
つまり、「良い祈り」でオキシトシンが増えると病気が治るかもしれないとも言えます。「祈りこそ最高の薬」と言うことです。
ただ、脳はすぐに変われないものだそうで、したがって、良い祈りを続けることが大事になります。
じゃあどのくらい続けるといいのかって?「困ったときの神頼み」ばかりしている人はいけませんよ。なんちゃって。
実は私もその中に入るかもしれませんが、本では、「人間の細胞が入れ替わる3ヶ月が一つの目安かな?」となっています。
もう一つ気を付けるのは、脳というものは「省エネモード」になりやすいものだそうで、いつも祈り続けることはいいにしても、それがいつの間にかルーティン化してしまい、「惰性」になると、意味が薄れることになるそうです。
ははぁ、お寺さんなどはこれだよきっと。
それで、祈りにはきちんと目的を与えることが必要となり、朝の祈りには、例えば「なしたい目標」をあげる、晩の祈りには「その日の感謝」を目的にすることなど工夫が必要と言うことでした。
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ここまでが第1章です。本は2章までありまして、第2章は「脳科学から見た幸福な人、不幸な人」だそうです。
ここまででどう思いました?
「パワースポット」がまだ注目されていますよね。それはまさに「現世利益」を求めて、老若男女が祈りを捧げるのですが、神も仏もないならば、なんの意味もないかというと、「祈り」にれっきとした意味があったと言うことですね。
ただその内容については、「宝くじが当たりますように」ではだめで、「みんなが幸せになりますように」と言うことを、つまり「利他的祈り」でなきゃだめらしい。これは自分が変わると言うことを意味しています。
ん~ん。どうだい?できそうかい?
へへ、じゃんじゃん。
次に出てくるのは、海馬が関係する「展望的記憶」です。
これは人間が生きていくのに必要な目標を描き出すことだからです。単にスケジュール管理がうまいと言うことよりも、10年後、20年後の社会や自分を展望することが海馬を活性化させるのですが、「良い祈り」はここでも例のベータ・エンドルフィンやオキシトシンの分泌を増やすことによって、展望的記憶の強化に役立つのだそうです。
そもそも祈りは未来に向かって祈るもので、過去にあったことを祈るのは「呪い」になります。
脳医科学から言うと、日常的に祈る人ほど展望的記憶をしっかりもって、いきいきと生きることになるようです。
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ということは、「お寺さん」や「牧師さん」は活き活きとしているかというと、まあ、そういう人もいるでしょうが、銭勘定ばかりしている人もいて、一概に活き活きとは行かないでしょうね。
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その次は、「免疫」です。
「プラセボ効果」というのを聴いたことがあるでしょうか。「偽薬効」というもので、薬の効果を確かめるときに、半分の被験者に本物を与え、残り半分に偽薬をあたえて「有意差」を見るわけですが、この偽薬グループにも3割ほど薬効が現れるそうです。これは偽薬であっても、「薬を飲んだ」という意識で免疫力が高まり、いわゆる自然治癒力が働くからだそうで、ここに関係するのがオキシトシンです。
つまり、「良い祈り」でオキシトシンが増えると病気が治るかもしれないとも言えます。「祈りこそ最高の薬」と言うことです。
ただ、脳はすぐに変われないものだそうで、したがって、良い祈りを続けることが大事になります。
じゃあどのくらい続けるといいのかって?「困ったときの神頼み」ばかりしている人はいけませんよ。なんちゃって。
実は私もその中に入るかもしれませんが、本では、「人間の細胞が入れ替わる3ヶ月が一つの目安かな?」となっています。
もう一つ気を付けるのは、脳というものは「省エネモード」になりやすいものだそうで、いつも祈り続けることはいいにしても、それがいつの間にかルーティン化してしまい、「惰性」になると、意味が薄れることになるそうです。
ははぁ、お寺さんなどはこれだよきっと。
それで、祈りにはきちんと目的を与えることが必要となり、朝の祈りには、例えば「なしたい目標」をあげる、晩の祈りには「その日の感謝」を目的にすることなど工夫が必要と言うことでした。
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ここまでが第1章です。本は2章までありまして、第2章は「脳科学から見た幸福な人、不幸な人」だそうです。
ここまででどう思いました?
「パワースポット」がまだ注目されていますよね。それはまさに「現世利益」を求めて、老若男女が祈りを捧げるのですが、神も仏もないならば、なんの意味もないかというと、「祈り」にれっきとした意味があったと言うことですね。
ただその内容については、「宝くじが当たりますように」ではだめで、「みんなが幸せになりますように」と言うことを、つまり「利他的祈り」でなきゃだめらしい。これは自分が変わると言うことを意味しています。
ん~ん。どうだい?できそうかい?
へへ、じゃんじゃん。
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