T氏の追悼2015年06月22日 13:03

 以前、同じローカルセンターで机を並べていたT氏が、亡くなられました。
 昨年暮れくらいからうつを患っておられたようですが、直近にあった人から聞いたところでは、そんなそぶりは全く感じられなかったと言うことでしたから、まさに寝耳に水で、驚きました。
 私は、北海道新聞のお悔やみ欄で見ましたが、まさかと思って、同姓同名かと。
 しかし、ご本人であるとある人から聞いて、やっぱりと思う前に、どうしてと言うことと、思いもしなかったことに遭遇したというひどいストレスを感じました。

 私が30才で札幌に来て、ローカルセンターにいたとき、T氏とTM氏と私の3人は、よく遅くまで仕事で残っていました。
 ローカルセンターでは、ほぼ定時に帰る人と、毎日何らかの理由を見つけて飲みに行く人と、仕事を続ける私らのようなのと、3っつに分かれました。
 あの頃は、仕事が面白くて、毎日9~10時(会館が10時閉館)まで残っていました。5時頃までは電話がかかってくるなど忙しく、それすぎてから、次にやることの段取りをするのが毎日でしたから。

 T氏の担当は、生活関連か、道民運動かで、特に、障害者団体やアイヌ団体との付き合いが多かったように思います。

 90年に労働戦線統一がなされてからは、それまでのローカルセンターが主に担ってきた環境や平和運動の中心として活躍されました。
 その後、国際関係の民間団体で活動されていましたが、いろいろ苦労されていたと聞いています。

 T氏ととても仲のよい男たちが3~4人いました。彼らは、飲みに行くことはもちろん、旅行や温泉に行くなど、周りからは一種異様な仲の良さでした。みなはよく「○○○コンビ」と言って、ひやかしていました。
その関係はごく最近まで、一人入れ替わりがありましたが、続いており、聞いたところでは、毎週月曜日に「会議」をやっていたと。
 しかし、ある週の月曜日にT氏が顔を見せないので、不思議に思って住居を訪ねると、亡くなっていたと言うことでした。71才でした。
 
 生涯独身で、途中にはいろいろ艶っぽい噂も、あるにはあったのですが、独り身を愛したようです。

 なんというか、何とも心が折れるような出来事です。
 葬儀はご親族で済ませられたようで、「葬儀終了」のお知らせでした。

 別に元同僚とはいえ、賀状の交換をしているわけではなく、たまに顔を合わせたら、「元気ですか、うまくいってますか」くらいの挨拶をする程度の間柄でしたが、私にとっては、時間の一つがそこで切れたように感ずる出来事です。

 道北歌登の出身、郵便局で仕事を始めたと聞いています。生涯独身で、何事にもヒョウヒョウと向き合い、しかし、情熱をもって「マイノリティー」と協働する姿に、今でも尊敬を感じます。

 どうか、安らかにお休みください。

 合掌、じゃんじゃん。