昨日の朝、見事にひっ転んだ!2013年03月08日 12:12

 いつものように、8時15分に家を出て、9時10分には職場に着く予定で、稲積公園駅を目指して歩きました。数日前から気温が上がって歩道はつるつるです。
 道の端っこの靴がグリップするところを選びながら、慎重に歩いたさ。もちろん。転んで骨折なんかしてられないからね。どうしてと問われると答えに困るんだけど、とにかく痛いからさ。
 稲積公園駅の手前に横断歩道があって、信号が歩行者用になっていたから、特別急いだわけでもないのに、砂が撒かれた「絶対安全」ゾーンで、見事に尻餅ついた。とっさに右手が出て、先に付いたから、ほぼ右手に体重がかっかたし、次にケツを付いた。
 電車に乗っていると、右手の付け根が痛くなってきたので、桑園の薬局によって、「転んだんだけど、何か貼る物ありますか?」と聞いたら、薬局のおばはんが、サンプルの湿布を貼ってくれました。親切でした。何も買わないのもあれかと思って、鎮痛の塗り薬を買いました。
 一夜明けて今日は、痛みもほぼひいて、握力も回復しました。軽度のねんざだったのでしょう。良かった。まあ、ケツぺったと肩胛骨が少しまだ痛いのは、後遺症でしょうけど、通勤途上の労災申請するほどではないようです。

 ところで、昨晩は、痛い手を抱えながら、北大のY教授とM教授の送別激励会に出席しました。それぞれ東京の私大に移られるようです。特にY教授は北大法学部の名物教授でしたから、残念です。
 お二人とは何かと相談させていただいたり、相談されたりで、懇意にしていただきました。
 会では、20名ほどの参加者でしたから、一人一言づつ感謝を述べることができ、私も思い出などを申し上げました。
 でも一番興味があったのは、もちろん、「なぜ北海道を離れるのか」ということでした。Y教授は30年、M教授は10年です。
 とにかくお二人の述べられたのは、いわゆるバーンアウトでした。燃え尽きたというのです。
 確かに、何かと東京に呼び出されて、特に民主党の政権の時代には大きな政治枠組みはY教授が、社会保障と税の一体改革ではM教授が深く深く関与していたようです。一日に二度東京往復したという話も出ていました。
 これはこれで、北海道から民主党の動きが始まって、とうとう政権を取ったのですから、確かに目も回る忙しさだったのでしょう。
 しかし、昨年の総選挙で「北海道も全敗」という現実にいたって、いったい自分たちのやってきたことは、何だったのかと、思う気持ちはわかります。同じ喪失感は参加者の全員が共通であったと思いますが、しかしですよ、しかし、私の人生を考えても、社会党の時代から、ほぼ40年の政治関与の経験でも、政権与党となったのは初めてなんですよ。(村山自社さ政権はカウントしない)むしろ、私は、「ほう、日本でも政権交代ってできるんだ」という感じが強かったんです。
 しかも、その民主党は、労働組合としては、言葉も通じない人が大多数で、何のための政権交代であったかと、本当に思いました。工藤ひとみくらいですよ、仲間と思っていられたのは。
 そんな民主党に、労働組合が本気になれるわけが無いじゃあありませんか。連合の時代はそれでなくても自民党の親和的な人が多いというのに、いきなり事業仕分けを始めて、労災防止指導員制度を廃止したり、職業訓練制度を民間移行したり、全然方向が違ったじゃあないですか。最後の方では有期雇用の問題などで少しはいいかなと思うことがありましたけど。
 でも、確かに負け方ってものがあるでしょう。あまりにひどいですから、バーンアウトするのもわかりますが、これで民主党が雲散霧消したら、我が国は1党支配の中国・北朝鮮じゃあないですか。
 本当にやり直すなら、北海道からでしょうに。
 ちょっと、気分を害して、じゃんじゃん。

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