「祈り」とはなにか その32015年03月16日 09:43

 どうでしょうか?興味がわきましたか?それとも、「・・いい加減にせいよ!」ですか?

 さ・て、興味のない人は読まなくてけっこうです。

 本の第2章は、「脳科学からみた幸福な人、不幸な人」です。別に幸福の科学の受け売りではないですよ。

 まず、「幸せとは何か」から始まりました。これは人それぞれでしょうが、「達成感」も一つの幸せでしょう。
 そのときに、脳の中では、例のベータ・エンドルフィンや快感物質のドーパミンが活躍するのですが、科学的に考えるために、前回のfMRIやSPECT(単一光子放射断層装置)などでその時の脳の反応を解明しようとしています。
 その中で分かってきたのは、「利他行動は脳にとっても快感である」と言うこと。恋愛などよりもずっと大きな快感であるそうです。

 これの前提にあるのが「人間はほめられると脳の報酬系の一部が活動する」と言うことですが、じゃあ、誰か他人からほめられないとだめなのかというと、これがなんと、「他者からの良い評価は必ずしも必要ない」らしいです。
 なぜかというと、人間の脳には自分の行動を常に監視する「内側前頭前野」の働きがあり、ここにおける社会脳の働きの一つとして、自分が自分をほめることにより、持続的な幸福感に結びつくらしいです。
 ただし、何度も言うように「心からの利他行動」によってです。

 本では、この感覚が天台宗の「摩訶止観」の「同生天」や「同名天」にちかいことや、仏教徒の瞑想によって得られる「自己と他者の境界がなくなるような感覚」で、深い実感のある感覚だと言っています。

 また、また、ただし、です。
 このような幸福感は、それが継続すると「慣れ」が出てきます。例の脳の省エネモードのためです。「考えないですむなら」ということで脳はすぐ省エネモードに入ります。日々の歯磨きと同じです。

 それで、大事なことは、適度な刺激(=ストレス)が必要と言うこと。常に幸せな人は、脳が衰えてしまうと、この本では恐ろしいことを言っています。

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 私は刺激がありすぎで、ストレスが高く、それで海馬が縮小してしまうのですから、もう少しでいいので、幸せになりたいです。
こりゃあ自己的欲求か。これじゃあだめだって言ってるのに。
 誰に言ってるの?どうしてほしいの?って聞こえてきそう。

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 さて、私のことはさておき、本に戻ると。

 この「適度な刺激」で一番大事なのは「会話」です。一番最初の命題に戻るわけですな。人間は社会的生き物という。

 ところで、「会話」はいまやほとんどメールなどで済ましてしまう世の中ですが、これはいけないようです。
 なぜなら、会話というものの役割として、意思のやりとりがありますけど、やり取りの情報としては、言語情報はその7%、視覚情報が55%、聴覚情報が38%(メラビアンの法則)というのが定説ですから、やはり面と向かって会話するのが一番です。
 もしかすると、今の日本の問題は、この「無縁社会」が原因ではと書いています。

 この会話は認知症の防止や改善にも効果があります。脳の神経細胞は大人でも再生を繰り返すことが分かりましたが、誕生した脳細胞は刺激がないとすぐに死んでしまうそうです。よって、適度な刺激(=会話)と、適度に困難な課題を持つことが脳の活性化維持には必須と言っています。

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 ふ~む。ふ~む。
 やっぱり、どこか海のそばに一人こもって、そのうち人知れず死んでいこうと思っていたけど、その前にアルツハイマーで徘徊し、崖から落っこちるか熊に喰われて死んじゃうことになりそうだな。

 じゃんじゃん。

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