30年史の編纂経過 2017~18 その1 ― 2020年01月24日 10:59
特に書くこともないから、この1年半程度かかわってきた「30年史」について、その編纂作業の経過を書き記すことにしよう。
それに特に意味はない。
一番最初にこの話が来たのは、2017年6月にD会長とS事務局長に呼ばれた時でした。すすきので。
それで、20年史の時の資料のPDF化と一緒にやりたいという希望を伝えました。担当者はY君でしたので、いろいろ準備をしてくれたのはいいのですが、業者の鵜呑みばかりで作業者の意見を聞かずに決めてしまい、いらぬ作業をすることにもなりましたが、まあ、そんな性格は以前から承知していましたから、一時はかなり湯気が出ましたが、今はいいことにしておきます。
具体的な作業は2018年9月から始めました。これは3月に母が入院のため釧路に行ったことで、親の世話に手を割くことが少なくなったことも大きな要因です。
最初は80箱あった20年史の資料をPDFにする作業でしたが、これは結構大変で、2019年5月ころまでかかりました。
週3回ペースでの作業でしたが、火・木は仕分け作業で、土のコピーが空いているときにスキャンするのですが、Yの仕掛けにはまって、大型機のほうが使いやすいのに中型機を使い続けたため、余計な時間をかけてしまいました。このやろうです。
しかし、ほくろうビルの6階奥にあった資料のほとんどをPDFにしつくして、2019年6月くらいから年史作業の編纂に着手しました。
特にこの作業で困難というか、自分のミスを含めて大いに反省しなければならないのは、大会等の大事な機関会議資料がいつの間にか散逸してしまうことが、以前からv注意されていたことですが、やはり明確となっていました。
もちろん組織としての記録(正本)はあるのですが、PDFにするためには裁断してしまうため、別セットが必要になりますけど、それが見つからないということです。
やむなく正本を裁断した年もありましたが、「サーバーにあるからいいだろう」との考えは、組織運営として非常に危険であることを肝に銘ずべきです。
今日はここまで。
じゃんじゃん。
それに特に意味はない。
一番最初にこの話が来たのは、2017年6月にD会長とS事務局長に呼ばれた時でした。すすきので。
それで、20年史の時の資料のPDF化と一緒にやりたいという希望を伝えました。担当者はY君でしたので、いろいろ準備をしてくれたのはいいのですが、業者の鵜呑みばかりで作業者の意見を聞かずに決めてしまい、いらぬ作業をすることにもなりましたが、まあ、そんな性格は以前から承知していましたから、一時はかなり湯気が出ましたが、今はいいことにしておきます。
具体的な作業は2018年9月から始めました。これは3月に母が入院のため釧路に行ったことで、親の世話に手を割くことが少なくなったことも大きな要因です。
最初は80箱あった20年史の資料をPDFにする作業でしたが、これは結構大変で、2019年5月ころまでかかりました。
週3回ペースでの作業でしたが、火・木は仕分け作業で、土のコピーが空いているときにスキャンするのですが、Yの仕掛けにはまって、大型機のほうが使いやすいのに中型機を使い続けたため、余計な時間をかけてしまいました。このやろうです。
しかし、ほくろうビルの6階奥にあった資料のほとんどをPDFにしつくして、2019年6月くらいから年史作業の編纂に着手しました。
特にこの作業で困難というか、自分のミスを含めて大いに反省しなければならないのは、大会等の大事な機関会議資料がいつの間にか散逸してしまうことが、以前からv注意されていたことですが、やはり明確となっていました。
もちろん組織としての記録(正本)はあるのですが、PDFにするためには裁断してしまうため、別セットが必要になりますけど、それが見つからないということです。
やむなく正本を裁断した年もありましたが、「サーバーにあるからいいだろう」との考えは、組織運営として非常に危険であることを肝に銘ずべきです。
今日はここまで。
じゃんじゃん。
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