大人のADHD その32016年04月26日 10:32

 いよいよ桜の季節になろうとしていますね。
 私は桜の花より桜餅が好きです。

 さて、いろいろADHDの特徴や他との比較をしてきましたが、どうやらうちの親はADHDの気を持っているようです。ADHDは遺伝の要素も強いのですが、社会環境の要素の影響もありますから、親のせいだけではないでしょうが、私もどちらかというと、昔は、ADHDっぽかったような気がしています。

 それで、「じゃぁどうしろってんだい?」という声が聞こえてきそうですから、対処法について少し考えてみましょう。

 まず、一つ目は「時間管理」について。

 「いつの間にか時間が経っちゃって、何もできていない」というのがADHDですから、それを解決するには、時間割表が必要です。
 仕事や家事を段取りよくこなしていくには時間割表が効果的です。ただし、十分な休息も入れて、無理なくこなせるような時間割にしてください。
 同時に、アラームやタイマーを活用して、「始める時間」の管理を進め、次に「続ける」ことの練習、「やり遂げる」ことの練習をしていきます。
 そして、ここが大事ですが、子供じみていると思っても、「一応できたら1点」、「完璧にできたら3点」、「人に評価されたら5点」などと点数をつけ、合計が200点になったら、自分にご褒美をあげてください。

次が二つ目「イライラの管理」。

 ADHDは衝動的で気持ちの管理が苦手ですから、イライラすることがよくあります。自分の「せっかち」を自覚して上手にクールダウンします。
 イライラはこころのエネルギーを無駄に使います。相手もいやな思いをして、人間関係が悪化します。
 クールダウンには、
○ その場を離れる。
○ 深呼吸を5回繰り返す。
○ 好きな音楽を聴く。
○ とにかく、6秒は我慢してみる。
○ 何かお守りグッズを持ち歩き、イライラしたらそれを見るようにする。
 ということを心がけます。大きく言うと、「アンガー・マネジメント」になります。

そして、三つ目「決断を急がない」。

 物事に白黒つけたがるのはADHDの特徴の一つです。重大な決断を衝動的に行う傾向があります。大事なことを決めるときは、「少し考え、少し待って」からでも間に合います。
 ここでもクールダウンの方法があります。それは、メリットとディメリットを表にすることです。頭で考えるだけでなく、表に書き出すことによって、客観的に判断することができます。

<会社を辞める>
メリット~気持ちがすかっとする。我慢しなくてもいい。
ディメリット~経済的に困る。(=でも解消法があるかも)
<会社を辞めない>
メリット~社会的な安定、家族が安心する。
ディメリット~イライラが続く。(=でも解消法があるかも)

いやいや、いろいろ大変ですが、私も先を急がないことにします。
今のところはこれまでに。
対処法は続きます。
じゃんじゃん。

大人のADHD その22016年04月25日 09:30

 さて、大人のADHD。続きです。

 よく言われることですが、ADHDには2タイプあります。
 「ジャイアン型」と「のび太型」です。あのドラえもんに出てくる子供たちですね。
 「ジャイアン型」というのは、多動・衝動優先型で、したがって落ち着きが無く、我慢することが苦手であり、感情の起伏が激しくて、いじめっ子になりやすい。
 「のび太型」は、ドジでぼんやりしていて、根気強くすることが苦手であり、いじめられっ子になりやすい。

 子供ではだいたい5%位はADHDといわれていますが、大人でも、3%くらいいるのではないかと考えられます。
 雇用労働者6,500万人の3%と言うと、約200万人です。
 「多いね」でしょうか?「まあまあかな?」でしょうか。

 職場の中では、こんな感じの人になります。

・折り返しの電話を忘れる
・人の発言に割り込む。
・借りたものを返さない。
・早とちりが多い。
・転職が多い。
・スピード違反や駐車違反が多い。
・他の人をせかす。
・誘惑に弱く、浪費しがち。
・ギャンブルにのめり込む。

一方、家庭では、こんな感じのことになります。

・食器がたまっている。
・炊事の段取りができない。
・家計のきりもりが下手。
・いざというときの備えができない。
・保険証や通帳など大事なものがいつも見つからない。
・あれこれ興味を持って始めるが続けられない。
・計画的に物事が進められない。

 これらのことは、子供のときには、親が「しょうがないなぁ」と何とかしてくれていましたが、大人になると、特別には誰もやってくれません。当然ながら。また、自立した生活ではやるべきことが大幅に増えます。そして行ったことの責任はその人のものとなりますから、したがって、大人のADHDは目立つことになります。

○ ADHDとアスペルガー

 よく比較されるものに「アスペルガー症候群(AS)」があります。しかし、ADHDとASの大きな違いは「対人関係」で見られます。
 ADHDは対人関係で「どうすべきか」はわかっているのに「できない」のであり、ASは「どうすべきかわからない」のです。
 その結果、次のようなことが起こります。

<遅刻や朝の支度>
ADHD~気が散りやすくうまくいかない。すべきことをすぐ忘れるので場当たり的。
AS~一つのことにとらわれて流れがうまくこなせない。何かに気を取られると時間を忘れてしまう。

<期限に間に合わない>
ADHD~面倒なことは先延ばし。ぎりぎりに取りかかってやっつけ仕事。
AS~興味関心のあること以外やろうとしない。完璧を求めすぎて納得しないと外に出さない。

<忘れっぽい>
ADHD~記憶容量がもともと少ないので忘れやすい。
AS~関心度合いにより極端になる。常に頭はフル回転のため、他に注意が回らない。一連のつながりを理解することが苦手。

<片付け>
ADHD~やりっ放しが多い。後片付けに気が回らない。やろうと思っても忘れてしまう。
AS~ものへの執着が強く捨てられない。ただし、優先順位はつけられない。やり始めると完璧を求めすぎ、ほどほどにできない。

<衝動的に話す>
ADHD~考えずに思ったことを言ってしまい、あとから後悔する。言うべきかどうかは理解できる。
AS~自分が正しいと思ったことは言わないと気が済まない。言ったことを他人がどう受け取るかが理解できない。

<相手を怒らせる>
ADHD~遅刻やミスで他人の怒りを買うことは多いが、怒る人の気持ちはくみ取れる。
AS~失礼な態度や発言をよくするが、相手がなぜ怒っているのか理解できない。

○ ADHDと学習障害(LD)

 ADHDとLDは併発しやすいようです。
 LDはIQは標準でも、「読字障害」、「算数障害」、「書字障害」を持っている状態を言います。
 LDだと、授業について行くことは至難です。飲み込みが悪いなど自己評価の低い日々を過ごします。
 算数障害があると、金銭管理が苦手になります。買い物の釣り銭は店員の出すがままになりますし、小銭がうまく使えないため、財布の中はいつも小銭だらけになります。これは認知症でも似たようなことは起こりますけど。
 ローンやカードの損得がわからず、消費弱者になりやすくなります。

 書字障害は、最近PCの普及で増えていませんか?
 私も、会議のメモがひらがなだらけになってきています。漢字がとっさに出ないからです。「便利の不便」でしょうか。

 このほか、ADHDに似た症状は、うつ病や双極性障害でも出ますので、これはもう専門家(精神科医)の出番です。

 ところで、ADHDは実は一つの才能でもあります。
 というのは、既成のルールや常識にとらわれないことが、誰も思いつかない異様な斬新なアイディアを導くなど、創造性や独創性につながるからです。
 芸術や発明、起業などではうまく能力を発揮することもあります。また、素早い判断は、危険な職業や災害現場などで能力を認められることもあるかもしれません。

 十人十色、人もいろいろ、職場もいろいろといって人気を取り、その裏で国の膨大な借金を作った総理大臣もいましたが、案外、ADHDであったかもしれませんよ。とても変わった人ですから。

つうこって、じゃんじゃん。

大人のADHD その12016年04月22日 10:41

 さあて、総会の準備もとりあえず一段落つきましたから、いろいろ書いてみましょうかね。

 ということで、いわゆる「発達障害」ですが、私は医者じゃないので、いろいろ書いてあるものを参考にしながら、要約してみます。
 「いろいろ書いてあるもの」と言いましたが、これが、本当にいろいろでして、全く違うことも書いてあるものもありますから、その辺の判断はお任せします。

 まず、ADHD(注意欠陥・多動性障害)とはなんぞやと言うことです。
 ある、ご自分がそう診断を受けたという人がいて、お話を伺うと、ご本人曰く「ひと言で言うと、粗忽もんということです。昔からよくいたのです。」と言うことでした。
 じゃあ、「粗忽もん」というのはなんじゃということになりますが、以下のようなことがしばしば見られます。

落ち着きがない。
やるべきことがちゃんとできない。
日常の生活習慣が身につかない。
いつも慌てている。
そそっかしい。
うっかりミスがなくならない。
忘れ物がいつもある。
つい遅刻してしまう。
趣味が長続きしない。
家事がうまくいかない。
片付けができない。
よくものを無くしてしまう。
・・・・・・・・
 なんと言っても、1秒もじっとしていられない。

 どうでしょうか。いくつかは私にも当てはまります。
 子供がこのような「特徴」を持っていれば、親は大変でしょう。
 しかし、近年、このような特徴を抱えたまま、大人になる人が目立っています。

 メンタル診断で、ADHDとされるのは、
① 12歳以前から(子供の頃から)二つ以上の場所で、症状が見られる。
② そのために生活上の支障がある。
ということです。

 つまり、本当に落ち着きが無くても、生活で困っていなければ、治療の必要はないと言うことになりますが、よく言われるのは、「学生のうちは症状があっても目立たない(=変なやつ)」と言うことでしょう。
 それが、大人になって社会に出ると、整理整頓できないことや、ミスがいつも続くことは、致命的な欠陥と見なされかねないと言うことになります。
 ただ、このような症状は、統合失調症や気分障害、不安障害、解離性障害、パーソナリティ障害(PD)など、より重篤な精神疾患でも現れるそうですから、やはり生活上の支障が感じられたら、一度専門家の目を通すことが必要でしょう。

大人のADHDについて、三つの症状にまとめてみます。
<不注意>
 忘れ物が多く、ものをすぐ無くしてします。気が散りやすくて、一つのことを長時間集中してやるjことが苦手である。
<多動性>
 じっとしているのが苦手で、退屈なことには耐えられない。落ち着きが無く、せっかちで先走りがち。
<衝動性>
 思い立ったらすぐその通りに行動したくなる。順番を待ったり、相手の話を最後まで聞くことが不得手。


 これらのことは、「発達障害」とか、自閉症スペクトラムという範疇に入りますが、理解するためには「脳の癖」と考えた方がいいようです。
 つまり、ある病原菌で感染症を発症したと言うよりも、視力が弱ったのでめがねをかけるという状態に近いと言うことです。
 わかりますか?
 わからないかもしれませんね。

 近視や老眼の場合は、めがねで矯正して日常生活を不自由なく送ります。
 同じようにADHDの症状が多少あっても、生活の工夫や程度によっては治療で補うことができると言うことです。

 今日のところはとりあえずここまで。
 じゃんじゃん。

「祈り」とはなにか その4 最終2015年03月17日 09:49

 さて、この本もいよいよ終わります。

 第2章の後半は、これまで述べた「祈り」がどのように効果をもたらすかと言うことに触れています。

 まず第1に「利他行動で相手が変わるとき、自分も変わる」です。
 人間の共感力の脳における土台は「ミラーニューロン」だそうです。これは字句の通り、相手の行動がまるで自分に起きたかのように「共有・共感」できるシステムで、相手を思って真剣に利他行動を取ると、脳内では相手と一体化し、その結果相手が苦しみや悲しみから蘇生したときにはまさに自分の喜びとして感じられることになります。

 この例として、「菩薩道」があげられています。つまり、私たち「凡夫」も菩薩道を行じ続けていく姿の中に仏がある。もし、「成仏」というゴールにたどり着いてしまったら、脳にとっては退屈な状態で幸福感は一時的であり、脳はどんどん衰えていくだろう。そうならないためには、衆生を救うために利他行動を生涯続ける存在が「仏」なのだと説明しています。
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 これは日蓮(法華宗)の教えです。中野さんは法華宗なのかもしれません。
 ちなみに、浄土真宗では、阿弥陀如来が18番目の本願として「称名(南無阿弥陀仏)」を唱えたものは、現世の善悪を問わず浄土に招来するというもので、だから常日頃から称名を唱え、善行をせよと説きます。
 また、禅宗では、道元禅師が「人は仏性を生まれながらにもっているのに、どうして修行しなければならないか」という問いを8歳?の時に問い始めて、仏道修行したと言うことが有名な話です。
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 2番目は、「運の良い人、悪い人」です。
 実はこれは人間がこの地球上で繁栄してきた根拠であると説明されているのです。
 運が良かったから生き延びてきた?そうではありません。
 ある研究があります。「認知的焦点化理論」難しい名前ですが、要するに「自己的で器量の狭い人は幸福感が薄く、人間関係が築けない」と言うことと、一方、「利他的行動を取る人は、盤石な人間ネットワークの本で、周囲の協力が「運がよい」というように見える」という対比です。
 これがどうして人間の生存に関わってきたかというと、非力な人間が他の種と比べて唯一発達しているのが脳であり、互いに助け合うという「利他行動」によって生存を続け繁栄してきた。これが脳には快感として刻まれているということです。

 ここから導かれるのが、「人は一人では幸せになれない」と言うことではないでしょうか。
 具体的には「自己肯定感」や「自己評価の高さ」と言うことになりますが、残念ながら、日本人は他の国に比べ自己評価が低すぎます。しかも著しく。
 「自分は誰かの役に立っている」とか、「自分は愛されている」と感じることによって、「もっと役に立ちたい」、「もっと愛されたい」と脳が感じることにより、脳神経の新生が促され、オキシトシンなどの分泌が増えて幸福感がさらに増すというのが脳科学からみた「幸福感」の結論です。

 そこで、一つの例があげられています。
 それは「ホロコースト(ナチス・ドイツのユダヤ人大虐殺)」で生き延びた人は、決して体力的に勝った人ばかりでなく、「生きる意味」を持った人であったというのです。(フランクル 夜と霧)
 ひるがえって、今の日本には、物質的な豊かさの一方で、「生きる意味」を失った人が多いと言うことがいえるのではないでしょうか。年間3万人近くの自殺者や、砂漠のような都会の人間関係は、脳を疲弊させた結果と言えないかということです。

 最後の項目は「人を育むことの幸せ-オキシトシンと人材育成」です。
 「愛されること」も幸福なら「愛すること」も幸福です。仏教で言う「慈悲」やキリスト教の「博愛」と言うことでもあるでしょう。
 そしてこれは、日々戦場の職場でも「部下や同僚の成長を心から願う」という利他的行動で、あのオキシトシンが分泌され、深い幸福感をもたらすと言います。「人を育む」こと自体が幸福なことなのです。
 その結果、組織もうまく活動できますが、それをもたらす人にも、悪玉物質の抑制や免疫力のアップ(がんの予防にも)の効果があります。

 その例として、「ヘルパーズ・ハイ」があげられています。ホスピスで末期がんの患者と接する看護師たちが、心から尽くすとき、不思議な高揚感と多幸感を感じると言います。

 また、仏教の「縁起」の思想と重ね合わせてもいます。「縁起」とは、「この世の全ては相互に関わり合って存在し、単独で存在しているものなど無い」と言うことですが、なぜこのことを言うかというと、自分と全ての他者は根源的につながっているとするならば、「自己犠牲の上の利他行動」はあり得なく、自己と他者の苦しみや喜びは同一であるという結論に行き着くからです。「自己」自体が意味を持たないことになります。
 したがって、世に「聖人」と言われる人々や存在は、限りなく大きく広い「自己の範囲」をもったと言うことになるわけです。つまり「利他」と「利己」が同一化すると言うこと。

 エピローグは「逆境」こそ幸福のもとと書いてあります。
 仕事上の困難、家庭における問題など何らかの逆境に直面すると、あらん限りの力で乗りこえようとします。脳を振り絞るのです。
 脳は、普段はリミッターが効いていて、100%の力を出さないようになっています。いつも100%なら脳も身体もぼろぼろになるからです。
 それが、逆境への対処では、リミッターが外れることがあるそうです。
「何度も修羅場をくぐると器量や底力がちがう」といわれるゆえんです。

 逆に、順風満帆な人は人間としてもろいとも言えます。
 ただし、逆境に押しつぶされてスポイルされる人がいることも事実です。そうならないためには、日常的な利他的祈りが効果的だよというのがこの本の結論であると思います。

 この本は、4年前の3.11をきっかけにしていて、「がんばってほしい」という気持ちがそこここにみられます。それが「脳科学からみた幸福論」ということなのかもしれません。


 さて、私はどう感じたか?
 聴きたいですか?聴きたい?
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 実は考えがまとまらないのです。
 私のうちは浄土真宗西本願寺派で、いわゆる「お西」です。
 そこでは、称名念仏を唱えたら、かならず阿弥陀様が西方浄土にご招来くださるということが宗旨の基本で、念仏を唱えることも、浄土に導かれることも、全て阿弥陀様のお力で、なにも心配することはないといういわゆる他力本願です。
 そうすると、中野さんのイワッシャル「利他的祈り」ではなく、自分が浄土に行くための念仏であり祈りであるということですから、「利己的祈り」になってしまうんではないかいと、悩んでいるからです。
 もちろん、家族の平安や両親の長寿など、ごく近いとこの自分以外については、利他的祈りはすると思うのですが、・・・・それでいいのかなぁ。
 まぁ、あまり悩むと禿げるから。もう禿げてますけど、悩まないようにしましょう。南無阿弥陀仏。
 じゃんじゃん。

「祈り」とはなにか その32015年03月16日 09:43

 どうでしょうか?興味がわきましたか?それとも、「・・いい加減にせいよ!」ですか?

 さ・て、興味のない人は読まなくてけっこうです。

 本の第2章は、「脳科学からみた幸福な人、不幸な人」です。別に幸福の科学の受け売りではないですよ。

 まず、「幸せとは何か」から始まりました。これは人それぞれでしょうが、「達成感」も一つの幸せでしょう。
 そのときに、脳の中では、例のベータ・エンドルフィンや快感物質のドーパミンが活躍するのですが、科学的に考えるために、前回のfMRIやSPECT(単一光子放射断層装置)などでその時の脳の反応を解明しようとしています。
 その中で分かってきたのは、「利他行動は脳にとっても快感である」と言うこと。恋愛などよりもずっと大きな快感であるそうです。

 これの前提にあるのが「人間はほめられると脳の報酬系の一部が活動する」と言うことですが、じゃあ、誰か他人からほめられないとだめなのかというと、これがなんと、「他者からの良い評価は必ずしも必要ない」らしいです。
 なぜかというと、人間の脳には自分の行動を常に監視する「内側前頭前野」の働きがあり、ここにおける社会脳の働きの一つとして、自分が自分をほめることにより、持続的な幸福感に結びつくらしいです。
 ただし、何度も言うように「心からの利他行動」によってです。

 本では、この感覚が天台宗の「摩訶止観」の「同生天」や「同名天」にちかいことや、仏教徒の瞑想によって得られる「自己と他者の境界がなくなるような感覚」で、深い実感のある感覚だと言っています。

 また、また、ただし、です。
 このような幸福感は、それが継続すると「慣れ」が出てきます。例の脳の省エネモードのためです。「考えないですむなら」ということで脳はすぐ省エネモードに入ります。日々の歯磨きと同じです。

 それで、大事なことは、適度な刺激(=ストレス)が必要と言うこと。常に幸せな人は、脳が衰えてしまうと、この本では恐ろしいことを言っています。

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 私は刺激がありすぎで、ストレスが高く、それで海馬が縮小してしまうのですから、もう少しでいいので、幸せになりたいです。
こりゃあ自己的欲求か。これじゃあだめだって言ってるのに。
 誰に言ってるの?どうしてほしいの?って聞こえてきそう。

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 さて、私のことはさておき、本に戻ると。

 この「適度な刺激」で一番大事なのは「会話」です。一番最初の命題に戻るわけですな。人間は社会的生き物という。

 ところで、「会話」はいまやほとんどメールなどで済ましてしまう世の中ですが、これはいけないようです。
 なぜなら、会話というものの役割として、意思のやりとりがありますけど、やり取りの情報としては、言語情報はその7%、視覚情報が55%、聴覚情報が38%(メラビアンの法則)というのが定説ですから、やはり面と向かって会話するのが一番です。
 もしかすると、今の日本の問題は、この「無縁社会」が原因ではと書いています。

 この会話は認知症の防止や改善にも効果があります。脳の神経細胞は大人でも再生を繰り返すことが分かりましたが、誕生した脳細胞は刺激がないとすぐに死んでしまうそうです。よって、適度な刺激(=会話)と、適度に困難な課題を持つことが脳の活性化維持には必須と言っています。

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 ふ~む。ふ~む。
 やっぱり、どこか海のそばに一人こもって、そのうち人知れず死んでいこうと思っていたけど、その前にアルツハイマーで徘徊し、崖から落っこちるか熊に喰われて死んじゃうことになりそうだな。

 じゃんじゃん。